病院における健康経営の実践(日本の事例)
病院における健康経営の実践(日本の事例)
1) 健康と生産性のマネジメント
健康と生産性をマネジメントするためには、現状把握として健康課題の可視化をする必要がある。生産性自体もしくは生産性コストを含む健康関連コストと生活習慣や身体データの健康リスクとなる項目の間に相関があることを示す研究蓄積があり、健康リスク項目が1つ増えるごとに生産性が有意に悪化していることが明らかにされている。
2) 健康リスク評価
健康リスク評価は、従業員の健康リスク該当数によりリスクレベル別の割合をベンチマークとし、組織の健康リスク構造を把握することで健康問題を可視化する手法である。健康問題を可視化し、有効な介入につなげることが可能となる。組織や保険者等に蓄積されたデータを、現状分析により問題を明確化する手法である。欧米の研究では、健康リスクとして10~13項目設定され、健康リスクの該当項目数で見ると健康リスクゼロの人に比べ、健康リスクが1~2個ある人では生産性損失が3.1%悪化し、5個以上の人では13.7%悪化とリスクが1つ増えるごとに生産性が有意に悪化していることが示されている。
健康リスクの該当項目数により当該組織の健康リスクレベルを低・中・高リスクに区分する「健康リスク評価」により、従業員の健康リスク構造を可視化する。健康リスク項目は、欧米における研究では喫煙、飲酒、運動などの生活習慣や肥満、血圧、コレステロール、血糖値などの生活習慣病関連、ストレス、生活満足度、仕事満足度などの心理面、さらに交通安全に関する項目など10~13項目設定している。健康リスクレベルの割合と健康リスクの数による移動(変化)をみることで評価・効果測定に活用する。アメリカでの議論では、健康な(低リスク)従業員の割合は、60%以上であるべきであり、理想的には、75~85%であると言われている。組織のリスク構造を可視化し、リスク該当割合をベンチマークとしてみる。
表.経営者・従業員への健康リスクの影響
経営者に対する影響 | 従業員に対する影響 | |
中~高リスクの従業員 | ・慢性疾患の有病率の増加 ・医療費の増加 ・アブセンティーイズムの増加 ・障害と労災補償費の増加 ・プレゼンティーイズム増加に伴う生産性の低下 | ・慢性疾患の罹患可能性の増加 ・医療費・薬代の自己負担の増加 ・痛みや苦痛の増加 ・QOLの低下 |
低リスクの従業員 | ・より健康的な労働生産性 ・より低い健康関連コスト | ・自立性、健康の増進 ・医療費の低下 ・エネルギーとバイタリティの増加 ・生活満足度・仕事満足度の向上 |
これを日本において実践することは、従業員へ実施している定期健康診断・特定健診、ストレスチェック等を活用すれば、毎年データがほぼ100%取得できる日本では、欧米と比較しても実施することは難しくなく、データの優位性も高いといえる。
3) 日本の病院における事例
健康リスク評価は、定期健康診断・特定健診の健診項目・問診項目とストレスチェックに含まれる項目を活用し、日本においては身体的リスクとして5項目(血圧・血中脂質・肥満・血糖値・既往歴)、生活習慣リスク4項目(喫煙・飲酒・運動・睡眠休養)、心理的リスク4項目(ストレス・生活満足度・仕事満足度・主観的健康感)の健康リスク13項目を設定し検証した。
対象組織の概要 ・地域の急性期を中心とした中核病院1000床以上 ・日本国内の1病院の2014~2017年度の各年の健診・問診(定期健康診断・特定健診)データに健保組合によるレセプトデータおよび生産性指標(プレゼンティーイズム・アブセンティーイズム)に関する従業員アンケートデータを統合したデータを分析対象とした。 ・2018年度時点での在籍者は2,425人であった。 ・経年変化分析は、2018年度在籍者のうち、2014~2017年度の4年間在籍している1,683件を分析対象とした。 ・対象の組織は、平均年齢(2018年度到達年齢)は男性38.7歳、女性36.1歳、男女比は男性29.8%、女性70.2%であった。 *本研究の実施にあたっては東京大学倫理審査専門委員会(審査番号:14-160)、東北大学大学院医学系研究科倫理審査委員会(受付番号:2018-1-201)、社会医療法人雪の聖母会研究倫理審査委員会(承認番号:研18-0404)の承認を得た。 |
4) 病院における生産性(プレゼンティーイズムとアブセンティーイズム)
職種では、看護師でのプレゼンティーイズム損失が最も大きいが、アブセンティーイズムも少ないことから、体調がよくなくても無理をして出勤し、プレゼンティーイズムにつながっている可能性が考えられる。医師はプレゼンティーイズム損失もアブセンティーイズムも両方小さく、医療職でも生産性損失の出現の仕方に違いがみられている。
表 病院機関における職種別プレゼンティーイズム(2017年)
注)プレゼンティーイズムはWHO-HPQ日本語版絶対的プレゼンティーイズム「過去4週間(28日間)の間のあなたの総合的なパフォーマンスをあなたは、どのように評価しますか?」により測定。
表 病院機関における職種別アブセンティーイズム(2017年)
(過去1年に自分の病気で仕事を休んだ日が1日以上であった人の割合)
5) 健康リスク評価の結果
健康リスク評価の結果、男性では65.2%、女性では72.0%が低リスク群に該当していた。
高リスク者の健康関連コストは、低リスク者の2.2倍大きくなっている。高リスク者では、1人あたりの健康関連コストは年間100万円以上となっていた。
6) 健康経営実践による経年変化
4年間で健康リスク数に変化のない人が28.7%であり、改善群(1項目以上減った)30.3%に対し、悪化群(1項目以上増えた)41.0%で、約11%多くなっていた。
健康リスク数が減ることでプレゼンティーイズムが有意に改善していた。健康リスク数が2個以上4年間で減った改善群は、プレゼンティーイズムが4.6%以上改善し、2個以上増加した悪化群は約4%悪化していた。統計的に有意ではないが、アブセンティーイズムは1年間で健康リスク数が3つ以上増減しているとアブセンティーイズムの日数も大きく増減していた。健康リスクの改善により生産性指標の1つであるプレゼンティーイズムの改善に効果があることが示されたといえるだろう。
表.健康リスク変化数別の生産性・医療費の変化
4年間のプレゼンティーイズム損失の変化量には、睡眠休養(p=.003)、血圧(p=.026)、主観的健康感(p=.001)、ストレス(p=.012)の健康リスク項目が寄与しており、2014年と2017年の2時点ともリスクのないリスクなし維持群(L-L)と2時点目ではリスクがなくなった改善群(H-L)は、プレゼンティーイズム損失割合は1〜10%改善傾向にあった。
表.健康リスク項目の変化別プレゼンティーイズム損失割合の変化量(4年間の変化)
7) 職場環境と生産性の関連
生産性の指標であるプレゼンティーイズムは、健康リスクだけでなく仕事のストレス要因(仕事要求度、仕事コントロール度)、仕事満足度、上司や同僚からのサポート等の職場環境要因との関連も指摘されている。
職場のメンタルヘルス対策として2015年より実施義務化となったストレスチェックを用いた職場環境要因とプレゼンティーイズムとの関連では、「仕事コントロール度」、「仕事の適合性(仕事内容の適正、やりがい)」、「職場での支援」がプレゼンティーイズムと関連していた。
4年間のプレゼンティーイズム損失の変化量と職場環境要因では、「仕事の適合性(p=0.027)」、「職場での支援(p=0.008)」、「仕事満足度(p=0.046)」が関連していた。「仕事の適合性」の項目においては、プレゼンティーイズム損失割合がリスク悪化群(L-H)では約3%増加し、リスク改善群(H-L)では約5%減少していた。
8) 健康経営の効果と取り組み
分析対象の病院組織においては、ベースラインとなる2014年から事業主・保険者が協働した健康経営の取り組みを開始している。同時期に大学と共同研究を開始し、病院組織、保険者(健保組合)と大学が共同研究という体制を取り、レセプト・健診データ・ストレスチェックと生産性指標の各種データから健康課題の可視化をしてきた。データの取得・整備を病院組織と保険者で実施し、データ分析を大学を中心として共同研究として実施してきた。分析結果は、「健康経営会議」として年3回程度共同研究に関する会議を持ち、共有し検討してきた。
健康経営の取り組み開始以降、事業主による健康経営を基盤としたデータヘルス計画の実施宣言、組織内にて健診スタッフ・人事部・保険者によるデータヘルス計画会議の開催が継続されている。医療費適正化のための保健事業と、生産性の維持・向上のための保健事業を保険者(健保組合)とのコラボヘルスにより取り組んできている。さらに、被扶養者の特定健康診査実施率の飛躍的上昇している。
病院組織において、医療費適正化のための保健事業は、ポピュレーションアプローチとして生活習慣病予防対策で「39歳以下及び非肥満者への保健指導」「健診受診者に検査項目ごとの同年代比較、判定レベルに応じたアドバンスシートの配布」の実施、ハイリスク・アプローチとして、「糖尿病重症化予防」、「血糖リスク保有者を対象とした事業」を実施し、重症化予防については、医師・保健師・管理栄養士・トレーナーによるチームを構成し介入を行っている。生産性の維持・向上のための保健事業では、喫煙対策、運動習慣へのアプローチ、メンタルヘルス対策を実施している。病院特性という特殊性から、性別・年齢のほか、所属部署及び職種特性から介入対象を検討している。
健康経営の取り組みの効果として、生活習慣リスク(喫煙、運動)の改善や健康リスクが改善することで生産性指標であるプレゼンティーイズムの改善につながる効果が見られている。
9) 健康課題の可視化の手法としての健康リスク評価の活用
従来は、健康リスクの中・高リスク者に注目した疾病の慢性疾患管理に重点が置かれてきた。しかしながら、これら中・高リスク該当者の健康リスクを減らすことは容易ではなく、それよりも現状の健康状態を維持することのほうが易しいこともこれまでの研究で示されており、重症化防止、低リスク者への健康の維持・増進などポピュレーションアプローチの重要性が指摘されている。ハイリスク・アプローチと併せ、低リスク層を維持・拡大することが組織としての健康課題となる。
各組織の特性によって取り組むべき内容は異なる。各企業において健康リスク構造の見える化は、健康関連コストの縮小に関心のある経営層と従業員間で共通認識を持つためのコミュニケーションツールとなると考える。さらに、健康リスク評価は、現状把握だけでなく、それをベンチマークとして介入効果の測定・評価に活用することで、PDCAサイクルを回し、従業員への効果的・効率的な健康支援につなげることができる。
健康経営度調査(大規模法人部門)においても、評価・改善が年々重視されてきており、従業員の健康課題の把握結果等を踏まえて、「具体的な推進計画の策定」や「数値目標」が必須となっている。各企業・組織において健康課題を見える化し、健康リスクと生産性の関連をデータを活用し検証することで、有力なエビデンスを持ってPDCAサイクルを回していくことが求められている。健康経営は、データ活用によるエビデンスに基づき、戦略的に中・長期にわたり取り組んでいくべきであり、健康リスク評価は有効なツールといえるだろう。
【参考資料】
- 津野陽子・尾形裕也・古井祐司(2018)「健康経営と働き方改革」,『日本健康教育学会誌』,Vol.26,No.3,pp.291-297.
- Lenneman, J., Schwartz, S., Giuseffi, D. L., & Wang, C. (2011). Productivity and Health An Application of Three Perspectives to Measuring Productivity. Journal of Occupational and Environmental Medicine, 53(1), 55-61.
- 健康経営の枠組みによる健康課題の見える化
http://square.umin.ac.jp/hpm/index.html
- Gosselin, E., Lemyre, L., & Corneil, W. (2013). Presenteeism and absenteeism: differentiated understanding of related phenomena. J Occup Health Psychol, 18(1), 75-86. doi:10.1037/a0030932